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不登校という生き方

2005年8月発売
 いじめ、ひきこもり、不登校・・・学校現場は悲鳴を上げている。
 子どもの個性やニーズに、今の学校教育が合わなくなってきている。
 だから学校を変えるべきだ。不登校もひきこもりもニートも、み~んな子どもの個性であり権利。それらを優しく認める居場所として学校を変えるべきだ。

 虫唾が走るこのような駄論が本書の要旨。
 イヤだったら学校へ行かなくてもいい、勉強もしなくていい、仕事もしなくていい。自分らしく、何をやっても自分らしく生きるのが個性、自分らしさだ、とは・・・権利と義務の履き違えもいいとこ。
 イジメにあう、嫌な目にあう、面白くないことがある、心が傷つく・・・どんな形であれ社会に出ればそんなことは当たり前。それに耐えて頑張る力を育むのが学校という場であるはず。
 なのに、そこへ行く気力をなくした子ばかり集めて、「それでいいんだよ」と優しく語りかけることに何の意味があるのでしょう。当人たちはそりゃ~喜ぶでしょうよ。でもそれが本当にその子達の為になるのか?働くのが嫌、傷つくのが嫌と自分の殻に閉じこもってしまう子ども達をあつめて、まずはお互いの尊厳を認め合う。そこには一定の精神安定的な効果はあるでしょうが、そこから先のことをどこまで真剣に考えているのか?どこまでその子達の将来に責任を持てるのか?

 でも確かに、そういう子どもが増えているもの事実。ではその原因はどこにあるのか?実はその答えは、本書の中で著者もちゃんと触れています
 何故学校に行かないか理由も聞かず、学校へ行くことそのものを目的として子に無理強いする
 更正施設のようなものに入れられ、そこが嫌で家に戻ってきた子どもを、施設に連絡して連れ戻させる
 子どもが学校へいかない理由を学校のせいにして、教師や友人達にクレームをつけまくり、子の肩身を狭くする

 学校にしろ仕事場にしろ、他人と関わる公共の場に出て行けば、大なり小なり傷つくことは避けられません。そんな時、それを癒してくれる唯一にして最大のよりどころは血の繋がった家族であるはず。そこが子ども達の最終的な逃げ場というか、自分を認めてくれる居場所としてちゃんと機能していれば、多少傷つくことがあってもそれを吐露し癒しあい、また明日への活力に変えられるはず。それが崩壊しているからこそ、子ども達は行き場を失い、家にいながらにして居場所のない状態、ひきこもりやニートと呼ばれる状態になってしまうのではないですか?

 それを実例としてこのようにちゃんと挙げていながら、でも改善すべきは教育現場であり、社会であるとする著者の感覚は、問題の本質を完全に見誤っているとしか私は思えませんでした。
 身を立てる職業訓練をするでもなく、何かにチャレンジするでもない、ただ似たもの同士寄り集まって「君もいいね、私もいいね」と言い合って慰めあっている子ども達、そこにしか居場所がなくなっている子ども達に深く同情するとともに、著者を含むこういう無責任な大人たちにはとにかく腹が立ちます。

●オススメ度●
★☆☆ 私は面白かったです(*`ー´)

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不登校という生き方
奥地圭子
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